前略、中村憲剛様

前略、中村憲剛

 

私がはじめて貴方を知ったのは『川崎フロンターレのケンゴ』ではなく『日本代表の中村憲剛』でした。

川崎市生まれ川崎市育ち、悪そなヤツからは裸足で逃げるという純川崎っ子な私はサッカーは好きでもJリーグは見ていなかったのです。

理由は、まぁ、ここでは良いでしょう。川崎市Jリーグ強豪クラブに相応しい都市であるとだけ。

閑話休題

代表での貴方しか知らなかった私は、貴方のサッカー観を知るすべもなく(当時は今ほどインターネット媒体の記事は多くありませんでした)途中出場で鬼のようなパスを通す選手という認識しかありませんでした。

 

そして南アフリカW杯が終わり、それから数年後に私は川崎フロンターレと出会うのです。

 

そこには、代表戦と変わらずに鬼パスを何本もFWへ届ける貴方がいました。そして、代表戦では見たことのないエンターテイナーとしてのケンゴがいました。

勝っても負けてもド派手な試合。3点取らなきゃドローや負けを覚悟しなきゃいけない試合。ウノゼロの美学?何それ美味しいの?な試合。

さらには奇想天外な試合以外でのイベントの数々。

そんな川崎フロンターレに私が魅了されるまでに必要な時間はごく僅かでした。そのフロンターレの中心にいつも貴方を感じてここまで来ています。

 

そこから更に数年後、ピッチに倒れこみ、自らの腕を交差させてプレー続行不可を訴える貴方の姿に、私は言葉では言い表せない不安を覚えました。

 

大怪我、選手生命、引退、etc。色々な事を考えてしまい、正直あの試合の事はあまり覚えていません。

クラブからリリースされた結果は前十字靱帯損傷、全治7ヶ月。

 

そのまま引退して指導者や解説者の道を進む事も出来た。そうなったとしても、それを歓迎するサッカーファンも多かったでしょう。

しかし貴方は手術し、困難なリハビリを乗り越えて、ピッチに戻る事を選びました。

それだけでも、私は改めて中村憲剛という人間の強さに感嘆し尊敬しました。

それで十分なのに、貴方は少なくとも公になる部分では明るく前向きに振舞っていましたね。

なんという強さだろう。これが人生の大きな岐路へ急に立たされた人間の立ち振る舞いなんだろうか。

だから私は思ったのです。絶対に貴方は等々力に帰ってくると。

フロンターレサポーターに笑顔を届ける為に帰ってくると。

 

・・・・・・怪我から約300日後、貴方は帰ってきてくれました。

等々力に集まった4,798人の万感の拍手に迎えられて、貴方はピッチに戻ってきてくれました。

ファーストプレーでシュートを放つと、そこからは水を得た魚、等々力の力を得た中村憲剛。あっという間にゲームを支配し、抜け目ないプレーで復帰後初ゴール!!

そのシュートが怪我をした左足だったのはきっと偶然だったのだと思います。しかし、何かそういうフォトジェニック的な部分を引き寄せる力が貴方にはあるのかもしれませんね。

 

ここから先、貴方が何年何十年と現役サッカープレーヤーで居続けてくれるのかは分かりません。その間に何本もシュートを放ち、何本もパスを通すでしょう。

それでもきっと2020年8月29日の約20分のプレーを私は忘れない。

 

中村憲剛はピッチの内外でサポーターに笑顔を届けるサッカー選手。

そんな貴方をこれからも見続けていきたいと思います。貴方も常に笑顔とともにいられるように願って。

 

それでは、また、等々力で。